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故人を悼む ブログトップ
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20180811:津川雅彦氏逝く [故人を悼む]

 この4日に逝去(訃報:各紙8日付け)。 享年78歳。

 4月に奥様(朝丘雪路氏)を亡くし、5月央頃に痛々しい姿で記者会見されていた。 ”辛い” ご様子だったが、これは生涯のパートナーに先立たれた事がご自身の体調と重なっての事だったのでしょう。 それから100日ほど経っての “後を追うような旅立ち” だったとの報道です。

 自分の世代では、所謂 “太陽族映画:狂った果実” が記憶に残るが、恐ろしい程の美青年だった。 またご結婚後、生後間もないお嬢さんが誘拐された事件(1974年)も覚えている。 このご経験からと想いますが、北朝鮮による拉致問題に対しては積極的な被害者支援をされておられた様です。

 いつしか役者としてのご活動が停滞していた時期がありましたが、”悪役” でTVドラマ出演されて以降見事に “復活”、主役ではないものの存在感ある役をいくつもこなしておられた。 我がワイフ殿が言うには、実兄(故・長門裕之氏)もそうだったが徳川幕府将軍役が結構多かったそうだ。

 TVドラマで拝見する風貌は自分等の世代層から観ると映画時代との乖離が大き過ぎます。 自分の中では何時までも映画でご活躍時代のお顔のままなのですが、またしても名優逝く・・・との印象・感慨であります。
 黙礼。

20180729:橋本忍さん逝く [故人を悼む]

 7月19日逝去。 享年100歳。
 自分等の年代層にとっては最も著名な脚本家で、黒澤明監督:”羅生門(”らしょうもん”;三船敏郎氏等)”・”活きる(志村喬氏等)”・”七人の侍(同)” を手がけられた。 またご自分の制作会社を作って “砂の器(加藤剛氏等・・・つい先日に逝去されたばかり)”・”八甲田山(高倉健氏等)” を映画化されている。
 新聞各紙の訃報記事で気がついたが、TVドラマ:”私は貝になりたい” の脚本も書かれていた。 故・フランキー堺氏主演ドラマで印象に残っている。

 たしか日経紙(?)掲載の悼む記事の中で知ったのですが、ごく最近まで新しい脚本の構想を練っておられたそうだ。 “人生100年” を実現されておられたご様子。
 黙礼。

20180722:常田(ときた)富士男さん逝く [故人を悼む]

 7月18日に逝去。 享年81歳。

 何と言っても家族一緒で観た “日本昔ばなし” のお爺さん役語り手で知られているお方だ。

 自分が観た映画では、”赤ひげ” や “楢山節考”、また “本陣殺人事件”・”悪魔の手鞠唄”・”天河殺人事件”・”病院坂の首縊りの家” 等々邦画ミステリ等で名脇役を ”快演”・”怪演” されていた事が想い出される。 味わい深いお方だった。

 またしても名優逝く・・・です。
 黙祷。

20180712:加藤剛さん逝く [故人を悼む]

 お若い時には清々しく、芸歴を重ねては渋く、存在感ある役者さんだったが、さる6月18日にお亡くなりになったと言う。 享年80歳。

 演劇・映画・TVドラマへ重厚な役柄で数多く出演されていたが、自分には大昔のTVドラマ版 ”人間の条件”(主人公役。1962年:TBS)&映画 ”砂の器”(犯人役。1974年:松竹)が忘れがたい(と言っても殆どの方はご存じないでしょうが・・・)。

 ”人間の条件” はその3年前に仲代達矢氏主演映画が公開され、評判だった。 TVドラマでの主演はやりにくかったのではなかっただろうか。 一方の ”砂の器” は何回もTVドラマ化されていて、フジTV版(1977年)ではその仲代達矢氏が刑事役だった(犯人役:田村正和氏)。 加藤剛さんが演じた犯人役は歴代の中でも傑出している様に自分は想います。 

 確か昨年末だったか、TVのインタビュー番組だったかで偶然に拝見した時、とてもお痩せになっていて、何やら心配げになったのだが・・・
 ご冥福を。 黙礼。

20180707:桂歌丸師匠逝く [故人を悼む]

 この7月2日に逝去。 享年81歳。
 大分前から体調を落とされ、療養しながらの高座で、生涯現役を貫く意志をヒシヒシと感じていた。
 一般にはTV番組 “笑点” の放送開始以来のレギュラー、先代円楽師匠を次いだ司会でお馴染みだったが・・・

 各種報道によれば、当初は所謂 “新作落語” を手がけられておられた様で(←知らなかった)、次第に “古典モノ” へ移行された。 自分(の様な年代層に)は “牡丹灯籠” とか “真景累ケ淵” の様な怪談話を復活させ、力作だった事を想い出します。

 落語界にあっては由緒ある名を次いだ師匠が多数ご活躍だが、自分にはそれぞれの先代と言うよりはその世代、つまりは先々代の時代、言ってみれば落語界が盛況を誇った昭和の時期の名人方のお噺が忘れがたい。 幸いな事にその多くが音声録音されており、今でも楽しめる。
 自分の想いでは、歌丸師匠はそんな先々代名人達が割拠する時代に聴けた質の高いお噺をされる方でした。
 ご冥福を。

20180609:朝丘雪路さん逝く [故人を悼む]

 原稿だけは早く仕上がっていたのだが投稿するのが遅れてしまった。
 4月27日に逝去。享年82歳。

 俳優・歌手・舞踏家として活躍されていたが、自分等の年代層では例の "11PM" の名司会者振りが想い出される。 わざわざメイン司会者に調子を合わせておられていたが、"育ちの良さ" は隠しおおせていなかった印象を受けていました。

 それに今ひとつ。
 父君が伊東深水氏(日本画家)で、そのお弟子さんに岩田専太郎氏がおられた事が想い出される。 この方は挿絵画家として第一人者の時代が長く続き、自分は松本清張氏が東京新聞に時代小説:"かげろう絵図" を連載された折のしっとりとしながらも "艶" のある挿絵が未だに記憶に残っているのが不思議と言えば不思議。
 訃報(2018年5月21日付け夕刊各紙)に接した時、思いも寄らない方々を想い出しました。
 黙礼。

20180601:西城秀樹さん逝く [故人を悼む]

 つい先日多くの方々が葬儀に参列されている TV ニュースを観たばかりです。
 既にお悔やみのブログが多数・・・でも自分なりのを。
 2018年5月16日逝去。享年わずか63歳。

 自分は、所謂 "歌謡曲" は苦手で聴かないが、この方の "カレーのCM" と "YOUNG MAN(Y.M.C.A)" はよく知っている。

 YOUNG・・・ の原曲はディスコ・グループ "Village People"(米)によるもの(1978年)で、本国でも大ヒットしていたと記憶している(以下も含めて年代は WikiPedia で確認)。

 "Y.M.C.A" の本来は、キリスト教的博愛精神に基づく青年協会の事で、全米に広く宿泊施設を所有していて、"相部屋" もあったそうだ。 そこで本国では "ゲイ" の利用が多いとされていて、Village People 自身もその方面かと揶揄されていたらしい。

 ところが、新たな日本語歌詞が付けられ、西城秀樹さんが活動的な振り付けと一緒に歌い上げると、一変して若者等の明るい将来を賛美する歌となった。 時は正しく1979年で、我が国は何もかも上昇気流に乗っているかの様な時代ともマッチしていたのだろう、超特大ヒットになったのでした。
 西城秀樹さんご本人のキャラクターもあったのだろう、本家を越えた "明るい歌" として定着したとの印象です。

 にもかかわらず、脳梗塞を二度も発症して、辛いリハビリを経て奇跡的な復帰をなさっていた折りの若すぎる訃報でした。
 ご冥福を祈るばかりです。
 黙礼。

20180508:”鉄人” 衣笠さん逝く [故人を悼む]

 多くの方が追悼ブログされておられますが、やはり自分なりにも。
 衣笠祥雄(さちお)さん逝去。2018年4月23日。享年71歳。

 この日、少し気合いを入れたウォーキングから帰ってきたら直ぐに我がワイフ殿から 「TV見てッ!」 って。 訃報が流されていた。

 自分よりも若い方の訃報そのものが辛いのだが、"鉄人" とも言われた強健の方が病に倒れるとは・・・
 今や、特殊な進行性でさえ無ければ "がんは早いモン勝ち"、つまり "早期発見・早期治療" が一番の筈だが、そうはいかないご事情があったのか。

 自分はあの "凄まじい応援" がそもそもの苦手、それに3.11福島原発メルト・ダウンの為に関東地区が計画停電の真っ最中にプロ野球セ・リーグ開幕戦を強行しようとした "読売巨人軍への反発" が今も消えずにプロ野球への関心からは縁遠く、特段の贔屓チームもない(但し昨季日本選手権では我が横浜市の "DeNA" を応援していました)。

 が、社会人なりたての頃、製造現場研修で1~2年程を広島県最西端地区の工場勤務した事があって、"広島カープ" の事はそれなりに知らされていた。

 何せ地元の方の応援の凄さは今程ではなかったかと想うが、かり出されて球場(←下り新幹線広島駅到着直前、左側に垣間見えた古い球場)に出かけた事も何回かあった。
 帰路、一時間をかけた山陽本線下り鈍行の中でお酒の味を覚えた事も今では懐かしい。
 そう、その頃のチームは負けが圧倒的に多かったのです。

 訃報関連記事では、連続出場記録を持つカル・リプケン選手からの 「友人として誇りだった」 とのコメントが自分には秀逸だったように想えます。
 メジャー・リーガーの記録が日本プロ野球選手に破られると、いつもは "けなしのコメント" が伝わってくるのが普通だが、この場合は逆だ。
 しかもそれを越えた心情が伝わってくる様に受け取れました。
 二人とも記録更新を続けていた幕引き間近の折、"自分の記録だけ考えて出場している" との批判を受けていた筈で、互いに心の底で "そんなんじゃ無い" との "共感・共鳴" するモノがあったのでしょうか。
 ご冥福を。

20180405:内田康夫氏逝く [故人を悼む]

 既に追悼ブログが投稿されておりますが自分なりに。
 先の3月12日に逝去(訃報記事は2018年3月19日付け各紙だった)。
 享年83歳。

 何と言っても放送局同士が競うかの様な "浅見光彦" シリーズが有名だ。
 他に "信濃のコロンボ"(原作題名:竹村岩男)シリーズもある。

 各地に伝わる伝説を絡めた事件の扱いが極めてTV向きドラマに仕上がっていて、ファンが多い様だ。
 旅と伝説のルポライターとして各地を巡る中で殺人事件に遭遇し、首を突っ込むと地元警察から睨まれ、時には拘留もされてしまう。
 が、身元が警察幹部の実弟と解ったとたんにヘイコラする急変の様子が例の "水戸黄門の印籠場面" と同じところも高視聴率の由縁かも?
 これはこれで如何にも一つの "和風ミステリー" ではなかろうか(勿論、観光名所を一巡りする海外ミステリーもある)。

 光彦を演じた役者さんも多数いて、今でもBSで大昔のシリーズが時に放送されている。
 兄が警察幹部、生活に苦労のない良家の次男坊の身分だから、自然と "育ちと品" の良さと "生活苦を知らない甘っぽさ" が醸し出る役を演じなければならない。
 網羅的に観た訳ではありませんが一番は "榎木孝明" さん、次いでシリーズ最多出演の "中村俊介" さんだと自分は感じている(何と、こちらのシリーズでは榎木孝明さんは光彦の兄役だ)。
 一番遠い存在は今や杉下右京役だ(肝心の "品格" がなぁ・・・ファンの方申し訳ありません m(_ _)m )。
 以上は独断に過ぎません(あしからず)。

 中村俊介版光彦シリーズは、先月29日放送:"浅見光彦殺人事件"@フジTVが最終となっていて、これは原作自体は少々複雑な筋書き(別立て2事件の知識が前提になっている)が、ドラマではどうかな(実は録画しっぱなしで観ていないのです)。
 病気療養中との事で、小説版光彦最後の事件では解決編を公募する事で話題になり、自分もブログした事がありました(*1)
 ご冥福を。
-----
ご参考(自分のブログです):
 (*1)“20170412:名探偵・浅見光彦” さん最終話完結編は公募らしい

20180330:S.ホーキング博士逝く [故人を悼む]

 図らずも "円周率の日(3月14日)" に逝去された。享年76歳。

 一般相対性理論との関わりの中で宇宙論、それも量子宇宙論のずば抜けた開拓者とされ、ブラックホールに関わる理論で広く知られたお方だ。
 但し、彼の理論を正しく理解出来る方は専門家の中でもそう沢山はいない・・・とも(世界で100人いるのだろうか? 勿論、自分は理解出来ていませんとも)。

 英国の至宝とされ、栄誉ある賞を多数受けておられるが、彼の理論の多くが実証が極めて困難である事からノーベル物理学賞受賞には至らなかった。
 ノーベル賞側の規定による限界ともされるが、既往の受賞者と同等、むしろそれ以上の見識・学識の持ち主とされる。

 オックスフォード大学ユニバーシティ・カレッジ(入学年:1957年⇒卒業年:1962年)を経てケンブリッジ大学へ移り物理学を専攻されたので、オックスフォード在はあの若かりし刑事E.モースよりも若干早い(*1)
 2001年に来日された事もある。

 お身体が不自由であったにも係わらずユーモアのセンスも類い希なお方だったそうだ。
 自分と同じ歳にもかかわらず、同じ人間でここまで知能の差があるのかよっ! ・・・ と "しょぼくれた" 事もありました。
 ご冥福を。
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以下ご参考(自分のどうでも良いブログです):
 (*1):20180317:”若かりしモース” にはまっている

20180315:左とん平さん逝く [故人を悼む]

 先月24日に逝去。享年80歳。
 
 大杉漣さん逝去に隠れるかの様にひっそりと報じられましたが、自分等の様な年代層には昔から馴染みある "不思議な" 役者・芸人さんでした。
 ポーカー賭博事件で世間を騒がせた事もありましたが、"変てこな歌" をヒットさせたり、舞台とかドラマでは軽妙な味わいを得意とされていました。
 最近は葬儀のTVCMでしかお目にかかっていなかったが・・・
 病気療養中との事でした。
 黙礼。

20180310:大杉漣さん逝く [故人を悼む]

 既に多くの方々が追悼ブログを投稿されておられますが、それも落ち着いた様に想えましたので自分なりのを。
 2月21日逝去。享年66歳。
 皆様ご指摘の通りに余りに若過ぎるご逝去です。

 映画やTVドラマ等の常連になる迄に随分と長い間ご苦労された様に聴いた事があります。
 我がワイフ殿の話では、例の "相棒" の最近のシリーズでは警視庁副総監役を演じておられたとの事で、それじゃぁ、自分が大嫌いな杉下右京をこてんぱんにやっつけて欲しかったのに・・・と思わず不埒な想いを抱いた次第です。

 自分としては、北野武監督作品:"HANA-BI" の役どころが印象に残っているのですが、手元にある "テロパラ" を再度見て(*) 、ホットドッグ好きで巨人ファンの刑事崩れのやくざを演じた大杉さんを偲びました。
 ご冥福を。

  (*):20171108:久しぶりに ”テロパラ” を観た

20180228:古在由秀(こざいよしひで)氏逝く [故人を悼む]

 大分前になりますが、天体力学で画期的な業績を残された古在氏が逝去された(2月5日。享年89歳;2月13日付け各紙朝刊訃報欄)。

 人工衛星の精密な軌道計算式( "コザイの式" )を構築し、すばる望遠鏡@マウイ島(ハワイ)の建設にも多大な功績を残し、初代国立天文台長にも就任されていた。

 理工系に進んだ方の多くは小中学生の時代に天体を優しく解説した本を読んで、天体に、そして宇宙の成り立ちに思いをはせた事があろうかと想います。
 自分もそうでしたが、この分野とは遠い方面に進んでしまっていた。

 訃報に接し、古在氏が執筆された新書等はPDF化して不埒にも処分してしまっていたが、改めてPDF版を読み直して、昔を振り返っていました。
 黙礼。

20180209:論客 西部邁(すすむ)氏逝く [故人を悼む]

 追悼しておられたブログがありましたが、自分なりのを・・・
 "保守" の際だった論客として知られていたが、あろう事か、多摩川@大田区(東京都)に入水して死去されたと報じられた(2018年1月21日;22日付け各紙訃報欄)。
 享年78歳。

 一言で保守といっても、このお方の意味するところは、歴史観を含めた哲学そのものであって、いわゆるよく言われるところの "右翼" とは全く異質で、"深すぎて" お考えの一致する方は少なかった様に自分には想えます。

 多くの著作を残されておりますし、公開討論会とかシンポジウム、更にはTV番組にも出演されて繰り返し発言されておられますが、数年前に奥様をお亡くしになり、"覚悟" をお決めになっていた様で、ご自分でご自分の未来を決する意味を込めて "自裁死" を選ぶと言われていた様です。

 うろ覚えなので怪しいですが、明治の文豪では森鴎外よりも夏目漱石をお好みだった(?)と記憶していますが、当時の西欧文化に追いつけない日本を諦めた "諦念" と同じ心情を今の日本に抱いていたからこそ、同じ森鴎外を避けたのでは・・・とは自分なりの愚考です。

 僅か2週間程前にインタビューされた毎日新聞記者の方の追悼記事がウェブに掲載されていて、その時の様子からは "信じられない" ・・・ とありました。
 黙礼。

20180207:P.メイル氏(英国・作家)逝く [故人を悼む]

 昨日に続き故人を悼みます。
 1月18日に逝去との訃報を発見(各紙:2018年1月20日付け各紙訃報欄)。
 享年78歳。

 多くの方はご存じ無いと想いますが、1980年代後半に突如、"リタイア後は南フランスの田園暮らしを人生最高の理想" とする一大旋風が欧米に吹き荒れた事があった。
 英国生まれのP.メイル氏が広告業界を若くしてリタイアして南仏プロヴァンスに移住し、其処での日常生活をまとめた "南仏プロヴァンスの12ヶ月" なるエッセイ集が世界中で大ヒットした事による。

 自分も邦訳版を読みましたし、女性向きの華やかな雑誌が特集を数多く組んだ事を覚えています。
 その頃の自分は現役真っ盛りの頃で、リタイア後の生活等考える余裕もありませんでしたが、食材・食事や催事、人と人、人と自然の繋がり(3.11以降は "絆" と呼ばれる事が多い)等、羨ましい限りの印象でした。

 田園生活とはかけ離れていますが、それこそ狭いながらも我が家での今の横浜北部丘陵地帯の生活も満更では無い想いです。
 黙礼。

20180206:夏木陽介氏逝く [故人を悼む]

 1月14日に病死されました(各紙:2018年1月19日付け各紙訃報欄)。
 享年81歳。

 自分等の年配者とかクルマ好きの方を除けばご存じ無い方々の方が多いかもしれませんが、TVの学園や刑事ドラマに加えてパリダカ・ラリーにドライバー及び監督として活躍された。

 何と言っても刑事ドラマは "Gメン75" で、丹波哲郎氏を真ん中にして滑走路に横一列に7名が並んでこちらにやってくる場面が "売り" でした(どんな話だったか、すっかり忘れていますが・・・)。
 "何故並んでいるんだ? 飛行機が来たら危ないじゃないかっ!" ・・・ なんて、野暮な事は誰も言わない時代でした。
 黙礼。

20180119:星野仙一さん逝く [故人を悼む]

 遅ればせながらの自分なりの追悼です。
 この1月4日にお亡くなりになってしまった。
 享年70歳。

 自分は野球はやらないし、余り観戦もしない方だが、この方が中日ドラゴンズ時代の闘志溢れる名投手振りは知っている。
 どういう訳か息子がドラゴンズ・ファンで、監督時代の事も良く知らされていたが、正直申し上げて "審判に怒っている" 印象しか残っていない(ファンの方々へ:申し訳ありません m(_ _)m )。

 が、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督時代には2013年に東北に始めての日本選手権優勝をもたらせた時、我がワイフ殿、里は福島県中通りながらも東北と言う事で我が事の様に喜んでいたのが昨日の様で、胴上げされる姿を覚えています。

 70歳とは "若い" 旅立ちです。
 黙祷。

20180108:”ローターリーエンジン生みの親” 逝く [故人を悼む]

 山本健一氏が昨年12月20日に亡くなられた(各紙2017年12月26日付け訃報欄)。
 享年95歳。

 天寿を全うされたのだろうか。
 技術系人間にとっては、理想的なエンジンとされながらも不可能と言われていた "ローターリー・エンジン" の量産実用化(マツダ)に成功された(1967年)伝説の方だ。

 当時のマツダ自動車は独特のフォルムをしていて、ローターリー搭載車はクルマ好き若者のあこがれの一つだった(自分には手が届かなかった)。

 米国で燃費が騒がれだし、当時、レシプロ対比で不利だった事が惜しかったです。
 黙礼。

20171217:はしだのりひこ さん逝く [故人を悼む]

 既に何名かの方がブログされておられますが、改めて自分なりに。
 12月2日に病死されました。 享年72歳。

 かって自分は R&R とか R&B の方の好みで、E.プレスリー 一辺倒でしたが、同世代でもあり、日本のフォークの世界を切り拓いていく姿を見知ってはおりました。
 "帰ってきたヨッパライ" を始め、当時の "風" とか "花嫁" ・・・今では YouTube で鑑賞が出来、ここしばらくは我がワイフ殿と静かに偲んでおりました。

 "この世代の方々が逝くのは辛い" ・・・ と、あの歌手小林幸子さんがインタビューで言われていましたが、その実感、解りますとも。
 自分よりも若い方の場合には特に・・・
 黙礼。

20171107:F.ドミノさん逝く(R&B+ロック歌手) [故人を悼む]

 新聞記事の切り抜きをしていたら、懐かしいR&B(リズム&ブルース)+ロックの先駆者の一人 F.ドミノさんの顔写真付き訃報記事を見つけた(自然死、つまり老衰でしょうか。享年89歳:各紙10月26日)。

 "F" は "Fats;ファッツ"。
 本来の意味は "脂肪"、これから転じて太った方の "愛称" の様な形で、映画ハスラーなんかでも "ミネソタ・ファツ" 等と、昔はよく使われていたと聴いています(今は "禁句" になっているそうですが)。

 今年の3月にはC.ベリーさんも亡くなっており(*) 、ロックの先駆者の皆さんもそういうお歳になっているんですねぇ。
   (*):"20170320-2:C.ベリーさんの逝去を悼む"

 "(ロック)殿堂" 入りしていますが、自分としてはR&B調の "ブルーベリー・ヒルズ" が好みで、ドライブ中にたまに聴きます。
 確か、E.プレスリーさんと一緒に歌っていた事があったような・・・
 黙礼。
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